海外に縁の無い私が帯同を決めたわけ|手帳に書いた夢

私はかつて、海外に全く縁がありませんでした。
今回は、そんな私が手帳を使って実際に夫のいる韓国へ帯同を決意するまでの話です。

キーワードは「書くと叶う」

8年間もパスポート真っ白だったのよ、、、

目次

海外に縁が無さすぎる

子どもの頃から海外に全く縁のなかった私。
家族旅行を海外に行くこともせず、英語も苦手なので、アメリカに友人が旅立つのをみても留学にも全く興味が持てず。

それでも大人になってから行くチャンスが3回ありました。

1回目は新婚旅行。
リゾートでゆっくりしたい〜!と思ってドキドキしながらパスポートを作り、タイのホテルを予約し、ワクワクしながら夫と家に帰ってテレビをつけるとまさかのタイで暴動が起こっているニュース。。
なんだか気が削がれてしまい、国内にしようか、と断念しました。

2回目は仕事。
パリで行われる「メゾン・エ・オブジェ」というインテリアの展示会へ行く予定でした。
社内でもご褒美出張にあたるこの展示会、ようやく順番が回ってきて楽しみだったのですが、その直前に起きたのがあの2015年11月の「パリ同時多発テロ事件」。展示会自体は行われたのですが、会社から行くなと言われ、泣く泣くあきらめました。

結局、行けないまま退職、、パリは必ずリベンジする!

3回目は中国への工場視察。
仕事で誘われていたのですが、そのタイミングで妊娠してしまい、こちらも辞退。

と、ことごとく何か起こって海外に行けない状況が続いていたので、心底海外には縁がないのだ、と思っていました。
夫にも結婚当初から「万一海外赴任になってもついて行かないよ」と宣言していました。そのため、韓国赴任が決まっても特に迷わず。夫をさらっと送り出し、まもなく2歳になる娘とのフルワンオペ生活をスタートさせました。

自分軸手帳との出会い


それがなぜ、韓国帯同を決意し、今韓国に来ているのか。
実は、2021年用に購入した自分軸手帳がきっかけです。

自分軸手帳は、私が初めて「スケジュールを書く」から「スケジュール以外の、自分の事を書く」へと発想の転換ができた手帳です。様々なワークと手厚いコミュニティに、目からウロコの日々。毎年数ページで挫折する私が、1年を通して書き続けられるようになりました。

手帳の書き方が分からない、、!という昔の私みたいな人にオススメ!

その自分軸手帳では、「足し算のワーク」という、自分にプラスしたいものを100個書き出すワークがあります。その一番上に何気なく書いた文字は「1か月休んで韓国で生活する」

これを書いた時は「こんなこと書いても、仕事休めないしな」と思っていました。しかし、手帳に願望を書くと心に残るもの次第にどうやったら韓国に行けるかばかりを考えるようになりました。

韓国、行かなくていいの?

ここで、子どもの話になります。
我が家は一人娘で、2人目についてはあまり話してきませんでした。ただ、ある日何気なくそんな話になると、「2人目がほしい」とのこと。私自身、人数は気にしていなかったのですが、2人目がほしいとなると話は別。1人目の時もすぐに授かったわけではなかったため、離れて生活している状況での時間のなさに焦りを感じ始めました。

そんな話を会社の先輩と話していたときに言われた言葉。

韓国、行かなくていいの?

!!そういえばなんで日本に縛られてるんだっけ、、?

この会話で吹っ切れ、色んな情報収集をし始めました。(先輩ありがとう!!)

韓国でのサポートと自分の仕事の変化

その後、夫にヒアリングしたり、色々調べたりして感じた事は以下。

①夫の家は広いにもかかわらず、会社がほぼ負担していて自己負担が少ない。
②会社や韓国の友人達があらゆるサポートをしてくれている。
③社会情勢的にもコロナワクチンが出来、リモートワークも進んできた。

これであれば、韓国でも生活できるのでは、、!と思い始めました。

自分の仕事もその年の4月に異動があったこともあります。
自分に向いているけど好きな仕事ができない
人も商品も大好き。会社に愛着もある。でも、副業できる見通しもなく、きっとこの先もモヤモヤとの戦い

ここで初めて「行こう!」と心に決めました。

書くと叶う

そんなわけで、書くと叶うを実感した2021年。
色々と調べ、準備し、転職活動を経てフリーランスとなり、無事に2022年、韓国へ来ました。

今年も足し算リストは継続していて、さっそく100個書きました。
何か叶うといいな。

手帳に自分はどうありたいかを書いてみませんか?

それでは!!

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次